アレルギー性肉芽腫性血管炎 

<入院の記録>
2000年05月02日〜07月15日


 充実していた日々が、なんの前触れもなく、喘息に襲われた。

最初は、夜中に咳き込むだけだったけれど、主人は会社に行かなければいけないから、起こしてはいけないと、
寝る場所を1階に変えて、一人で寝るようにした。

病院も喘息で有名な場所を選んで、通うことになったが、行くときは、主人に休んでもらわなくては、いけなくなった。
病院に通っているのに、どんどん症状は、悪化!
夜中に、布団に寄りかかって、咳き込んだり、挙句の果てには、息が止まるかと思うような発作に襲われるようになった。
吸入器で、うまく空気を吸えないのを、補助したりしたけれど、夜中が恐怖だった・・・息が吸い込めない苦しさは、焦るし・怖い。
そんな時、大好きなフニャフニャワンちゃんを抱きしめて過ごす。

何日も、そんな日が続き、食べられなくなってきて、点滴にも通うようになった。
そのころかな、うそのように喘息が止まったのは・・・・。

 5月2日、どうしようもない腹痛で、痛さに耐えられなくなって、医者に連れていって貰う。
「明日からは、連休に入るし、紹介するから、そっちの病院に入院を考えた方が、いいかもしれない」と言われ、
その足で、紹介された病院へ。

ここで、私は運命の先生に出会うことになるのだが・・・・。
 最初は、老人の多い病室 & 両方のカーテンに囲まれた暗い大部屋。
痛み止めを打ってもらったせいか、私服のまま(主人がマジャマ取りに行ってたから)トイレにも行けたし、楽に横になっていられた。
暫くしたら、看護婦さんが、「病室を、変えましょう」って、言って来てくれた。
「若いのに年寄りばかりじゃかわいそうだから」と、病棟の皆さんが考えてくださったのだとか・・大部屋だけど明るくて、窓側
何か、嬉しかった(^^)

看護婦さんは、胃腸風邪のように思っていたみたいなのだが、夜中になって、激痛が背中に走ったり、お腹は痛くなって、
その痛さに耐えきれなくて、何度もナースコールを押す。
点滴は、してくれたけど、「もう少したったら良くなるから、我慢して」ばかり。
最後に足の親指の付け根に、とんでもない激痛が走った・・・声をあげてしまうほどの。
後で、この時の状況を、看護婦さんが、
「この人、よっぽど痛みに弱いのかと思ったのよ。我慢が足りないなんてね。本当に、悪かったと思ってる」って、
話してくれた事がある・・・・胃腸風だと思われてたんだから、仕方なかったんだけどね。

今までの経緯や、夜中の状況、検査などから、主治医の先生が、
「本格的な検査は専門の所出さなければいけないし、それには時間がかかる & 思い当たる病気がある & 待っていられない」と
判断なさって、次の朝、主人と妹が主治医の先生に呼ばれた。
ステロイドを使う事、いろいろ副作用がでる事など、詳しく話をされて、了解を取られたそうだ・・・・
怖がらせないようにとの配慮で、私は、詳しい事、聞いてなかった。

そく、投与が始められて、「風邪の症状などが出る様だったら、個室に移るからね」って、言われたけど、ピーンと来なかった。
ただ、痛みや苦しさが、全部取れて、先生に感謝したし、とっても優しくて、笑顔が素敵で、
この先生なら、全て任せられるって思ったのは確かだ。

そのころ、短期間の入院患者さんが、けっこう入られて、貰ったミニバラを乾燥してカスミソウを添えた小さな花束を作ってたから、
いろんな方に差し上げた。そんな中に、退院の時に、ご主人の関係で、手に入るという何色も入った木箱入り色鉛筆を頂いた。

 そして、ついに鼻水が出始めて、「移った方がいいわ」って、先生に言われて、個室へ(と、いっても2人部屋に1人って、感じ)。
ちょっぴり壁が汚れてて、落ち着かないから、隣のベッドの境はカーテンをして、窓側に陣取る。
ドアの外には、消毒液 & 看護婦さんも私もマスク・・・・私も毛が邪魔だから三つ編みに。
持ってきたのは、ハーブの厚い本とパソコン・画用紙・ラジオ・フニャフニャワンちゃん。
ここで、私の病気の重大性が、わかった・・・・・先生が、いち早く決断して、助けてくれたことも。
ますます先生が好きになって、感謝の気持ちが、いっぱい湧いてきて、この先生の言う事なら、なんでも聞こうと思った。
なんでも、先生に話したし、質問もしたけど、笑顔で、聞いて励ましてくれた・・・先生の顔を1日に1回見られるのが楽しくなっていった。
看護婦さんも、みんな笑顔で、やさしかったし、よく話し相手になってくれた。

ある日、ベッドから立とうとしたら、左足に力が入らず、倒れこんだ・・・・
ナースコールまで這って行って、なんとか押したけれど、うまく力が入らない。
簡易トイレを持ってきてくれたけれど、使うのが嫌だったから、点滴の棒に捕まって、左足を引きづりながら、トイレに通うようになった。
薬の副作用なのかもしれなかったけど、障害を持った事は、それ程、私に衝撃を与えなかった。
何故かと言うと、入院する前の毎夜1人で、苦しんだ怖さや恐怖の方が、私には打撃だったから、
それらが取れた事だけで、幸せで、足の事など、それらとには、及ばなかったから。
相変わらず、看護婦さんは優しいし、特に、元気な若い看護婦さんが、いつも私を笑わせてくれた。

 やっぱり、ステロイドの量が量だけに、副作用が、全て出てきた。
まずは、顔が、まん丸に、なってきた事。
これには、ちょと困った・・・・
友人が「派手なの着なくっちゃ、病気も治らないよ」って置いて行ってくれたパジャマと、半分顔を隠しているマスク・三つ編み
個室に入ってる謎の少女とでも思われたのか、お風呂に入っている時に、強引に扉を開けられそうになった事が、ある・・・怖かった。
向こうも気がついたのか、1回で終わったから良かったけど・・・・いくら年でも、やっぱり嫌だものね。

そして、糖尿病の発生・・・・指から血を取るのは、いいんだけど、お腹にインシュリン注射・・・毎日。
でも、まだめげなかった・・・看護婦さんが「私たち、あなたにはげまされてるのよ」って、言ってくれた。
副作用の1つに鬱症状が出る事がある事を心配していてくれたんだろう。

主人が「アイリスさんのハーブ畑」で、摘んできてくれた一杯のラベンダーで、いろいろ物を作って、プレゼントしたりしてたし、
毎日書くHPの日記が、私を楽しくさせてくれていたし、もらった色鉛筆で、いろいろ描くのも楽しかった・・・足の事は、完全に消えてた。

 その病室が、クーラーが、使えなくなって、本当の個室に移ってから、気持ちが少しづつ変わってきた。
可愛い看護婦さんに会えなくなった事もあるし、その窓から、微かに見える、現実の生活。
お見舞い貰った真っ赤なミニバラが、私をますます現実に引き戻していった。
あんな苦しくて、怖かった場所に帰りたくない。看護婦さんや先生の笑顔に包まれていたい。
枕に顔をうづめて、現実社会での自分の左足に涙しだした。
先生から「そろそろ病院も混んでくる時期だから、かえって家の方が安心よ」って、言われて、「退院したくない」と言ってしまった私。
その日、先生といろいろ話した・・・・わかってくれた。でも、退院は退院だ。

糖尿病は、完治してなかったから、インシュリン注射の打ち方の練習が、始まった。
それと同時に、帰ったら、どうやって、生活をして行こうか、考え出した。
つかまってなら、移動はできるから、朝(お味噌汁と野菜を一杯入れた野菜炒め)とお昼(パンと牛乳)は作って、
夜は出来上がりの、お弁当を取る・・・・までは、考えられた。
その前に、トイレの改造と手すり付を付けててもらう・・・それも浮かんだ。

後は、何にも考えられないまま
2カ月余の面会謝絶札の札が、取れないままに病院を後にした
退院は、退院だ・・・病院と違う現実が、なぜか怖かった


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