退院後の私 



<退院後>
主人が会社に通っていた時だから、昼間の時間が長くって、その上、家の中での静養・・・
家の中から、笑顔が消えた
引きずる足で、病院で考えていたご飯の支度はしたが、ほとんど横になっていた日々
最初は、体調も悪かったし、夢中だったから、毎日が過ぎていった

慣れるにしたがって、横になっていてると、時間の空間ができた
周りは、自分の仕事をこなすのが精いっぱいで、私と会話をする時間もなかった
病人は、寝かして、ご飯を食べさせるだけでは、、回復しないと、始めて知った
病気の関係上、足のリハビリもしてもらえず、私自身に任された
その時の私は、まだ「強さ」を、持っていなかった
先が怖かった、相談相手や手を貸してくれて人、励ましてくれる言葉が欲しかった
だんだん、心も、テレビや新聞、ラジオにも反応しなくなっていった

それも、仕方ない事と頭でわかっていた
でも、寂しく、悔しくって・・・・そして、その感覚さえ消えた・・・・訪れたのは過ぎて行かない時間の怖さ
遠くの妹が、助けようとしてくれた
でも、どうにもならず、私が壊れていった
いまだ残っている手首の二つの傷跡

一時期を除いて、歩く練習だけは、無意識の中で、続けていた
窓から見える一本先の道路に立つ事を夢みて・・・
それが、今の私に繋がってる


<すがりたい思い>
やっと外に出られたのが、昔からの友人(野菜の話で繋がっていた)の勧めの某宗教(別に問題があるわけではないが)の集まり
彼女は、自分の世界に引き込む人ではなかったけれど、私の姿に、見るにみかねたんだろう
自分では元気になっていたと思っていたが、今になって、あの時を知る人から、やつれていた様子を聞かされた

心が泣いてたから・・・そう見えたんだろう・・・こういう時、誰でもが陥りやすい罠
最初は、よく解らないまま、何かが変わる事を信じて、毎日、お光を受けに通った
しかし、微かな疑問が否定に変わって、否定が私をよみがえさせて、退会に繋がった
でも、誘ってくれた彼女とは、良い友達で今もいる

あの時は、差し出される手なら、何でも良かった・・・なにかにつかまりたかった
一人が怖かったんだと思う・・・人の中にいる事で安心し、自分を見つけようとしたんだと思う
社会に出で行く土台というか、足が負重でも、外に出られるという気持ちが、宗教の集まりで芽をふきだしたのは、確かだ
感謝しなくてはいけないのだが、今、思うと怖い

新興宗教に走って、大きな事件を起こしたりするのは、社会への不条理もあるんだろうが、
人の心の隙間に、悪魔の手が差し出される瞬間が、あったんじゃないかとも思う
それと同じように、いろいろな不穏な団体もある、人もいる
悩んで、抜け殻みたいになった時、若い人達にも訪れるかもしれない人生の曲がり角・・・・気をつけて欲しいと、切に願う


<目覚め>
退会してから、何かを求めるように、必死で本を読んだ・・・良いと思う本を片っ端から
そして、ある本に救われた・・・いろいろな本を読んだ上だからこそ、出会えた本だと思う
そこから、少しづつ私が変わった

今ある原点は、そこだけれど、もう一度、私は、ある本に気づかされて、前に進めた
いつも本に救われ、元気になると共に、新聞・ラジオ・テレビで、情報を得、散歩で自然に目覚めて行った

散歩で、見も知らない人との優しい挨拶や、散歩中の犬達の目や自然に癒された
空に大きな広がりを感じ、風に吹かれながら季節の変わりを感じた
 
そして、「傾聴講座」を見つけ、10年目に立ったXXの街・・・傾聴講座の第一回目の日が、「独り言」の第一日目になることになる
そして、見知らぬ花に誘われて、撮った写真が載せられるようになって、
いつ踏まれるかもしれない野草が愛おしくて、何度もシャッターをきった

また、私が変わっていった・・・
勝気な私ではなく、ちがう意味で、心が強くなった気がする
まだ、私の人生の旅は続くのだろう
そして、たどりつく言葉は、きっと「XXX]と言う三文字なのだろうとも思う

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